そこにあるのは「当たり前」の生活だった。
「よく生きる」ことを意識しない、そう判断される閉じた世界。
そこに変化は訪れた。国家が「常に新しいものを見ること」を国民の義務としたのだ。
私は期待を以て受け入れた。
だが、じじいは変化を受け入れない。
ばばあは当たり前がいいと言う。
しかし変化は求められる。新しい経験は否応なく与えられ、当たり前だと思っていた生活は、多くの生き方の一つでしかないことが明らかになってくる、…少なくとも私には。
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私はロマンチストである。
新しい場所に行けば新しい発見があると思っているし、新しい人には新しい知識があると思っている。
だから、この生活にはいささか落胆を隠せないでいる。
どこに行っても同じような感想しか生まれない。
つまり「面白い」というような。
新しい場所や新しい生活様式が与えられたところで、
次の日には何事もなかったかのように、跡形もなく、消え去っている。
もしかしたらこの家族がとりわけ頑固で鈍感であるとも考えられるが、この生活を変えるのは「おはよう」と「おやすみ」を言わないで済ますくらいに難しいことなのだ。
ということを、味噌汁をすすりながら考えたが、
味噌汁の中の油揚げにも、特に感慨はなかった。
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