「あの価値が見えないやつはそこにいるがいい」
主人公は、押し掛けてきた兵士や市民の前で言い放った。
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城を囲むようにして、職人街、歓楽街、農作街というそれぞれの特色を持った街が広がっている。共通していえるのは古いレンガ造りの家々が並び、暮らす人々の服装も皆同じようなものだということだ。
この世界に時間は関係ない。
それはこの世界に、望めば瞬時に何でも産み出す「魔法」が存在するからだ。
「何でも存在する」ということは、「何も持たなくていい」ということだ。
最低限必要な家具を除き、あとは必要なときに出し、いらなくなったら消せばいい。
持つ者と持たざる者の差のない世界…。
この世界に生きる主人公は、けれども「持つ者と持たざる者」の決定的な違いをえぐり出す存在である。
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#1
農作街の河辺の一角を占拠するように、その無骨な建物は、複数の建物を無理やりつないだ形を顕にして存在する。ここを主人公は「学校」と呼んでいる。
主人公は、多くの孤児を養っている。
捨てられた子供たちは普通、育児機関で養われながら職人街や農作街の徒弟制度へと組み込まれていくが、主人公はそのようなことをしないので、周囲の周囲の住民からは奇異の目で見られることもしばしばである。
さらに奇妙なのは、主人公は持ち続けること。そして微妙な差をつくっていく。それを子供たちに街路で売らせていたりするから、さらに怪しげな噂が広まっていく。
主人公が子供たちに対して作る戒律は、子供たちの行動をときに抑制し、ときに誘発する。そこに存在するのは、徒弟制によって与えられる物質的な価値ではなく、決して消えぬ、見えない価値。
この世界では盗みはなく、不満も少ない。
だが、この世界には目に見えない上下関係があるのを主人公は見逃さない。
目に見えない活力。それが全てのちがいだと主人公は見る。
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#2
魔法のある世界にとって貴族とは、想像力を持つ者たちのことである。
彼らは想像力を以て魔法を使うことで問題を解決し、世間に安定を与え、
市民に安心を与えるからこそ裕福な地位を許されている。
だがその想像力の源が何であるかは貴族の間での秘密であった。
そこへきて、主人公の建てた「学校」は突如現れた脅威である。
それは貴族の間にあった学校とあまりに似ているからだ。
このままではいずれ市民の間にも想像力が生まれ、
貴族の優位も失われてしまうだろうことが予測できる。
貴族はこれに兵士を送り、市民を焚きつけ、「学校」を阻止しようと目論む。
だが主人公は、孤児たちが生きられるようにするという目的があるのだ。
主人公は「学校」の前に立ち塞がり言う。
「あの価値が見えないやつはそこにいるがいい。」
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